【書評】『ねむり』村上春樹

2021年3月19日金曜日

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この記事は、過去の記事からの転載です。


あなたは自分が何者なのか考えたことがあるだろうか。
誰かの子供だろうか?誰かの彼氏だろうか?彼女だろうか?誰かの親だろうか?

「あなた」を定義するものはなんだろうか?

21年ぶりに生まれ変わった作品

本書『ねむり』は、『眠り』として1989年に書かれた作品を著者自身の手で、21年ぶりに2010年に加筆修正され、された作品。

30歳を越え、子供もひとりいる幸せな家庭の主婦である「私」がある日突然一睡もできなくなり、17日連続で一睡もせずに夜中に自分の時間として過ごしていく姿を描く。

著者自身があとがきで書いているように、『TVピープル』とほぼ同時に書かれ、著者自身小説家としと悶々としていた時期に、新たなステージに立つきっかけとなった作品。

女性の変化

女性は変化する生き物です。
おそらくは男性よりもとても多くライフステージによって変化していく。
少女から女性へ、そして母親へ。
短期間の間に劇的に変わっていく。

本書の中で、主人公である「私」は30歳を超え子供を持つ母親となった今、以下のようにつぶやいている。

いつの間にか本を読まない生活になれてしまった。あらためて考えるとそれはずいぶん不思議なことだった。子供の頃からずっと本を読むことは私の生活の中心だったからだ。
(中略)
私が最後にきちんと本を一冊読んだのはいつのことだろう?
(中略)
人の生活はどうしてこんなに急激に様相を変えてしまうのだろう、と私は思った。


母親となるまで数年単位で急激に変わっていく自分と向き合い生きてきた女性が、母親となったときから「変化」がなくなる。

私はいったい何者なのか?

変化から老いへ

20代までは、何も考えなくてもからだの自身が「良い方向」へ変化していってくれる。しかし30代を越えたころから、何も考えなければ「悪い方向」への転がり落ちる。
これは女性だけでなく、男性もまた同様に感じるはじめての「老い」の恐怖なのではないでしょうか。

村上春樹さんの作品にはたびたび出てくるテーマである「老い」との向き合い方がここでも定義されます。

30になった女が自分の肉体を気に入っていてそしてそれを気に入ったままにしておきたいと望むなら相応の努力は払わなくてはならない。
(中略)
私の母は、かつてはすらりとした美しい女性だった。でも残念ながら今ではそうではない。



ねむりがもたらすもの

本書の中で、『ねむり』は人が知らず知らずのうちに身につけてしまう自分の行動や思考の傾向を中和する。と定義しています。

眠りを放棄するということは、知らず知らずのうちに歪んでしまう自分自身の行動や思考が中和されず、間違った方向に傾いてしまうということを意味します。

主人公である「私」は、ねむりを放棄したことにより、久しぶりに自分自身の時間を手に入れ、読みたいだけ本を読み、活力にあふれたからだへと「変化」していきますが、次第に「何かが間違っている」とこに気付き始めます。

何者でもない自分に泣く

主人公の「私」は泣きます。
真夜中に愛車の中で見知らぬ男たちに車を左右からゆさぶられ、
「私はひとりで、この小さな箱に閉じ込められたままどこにもいけない」と。


時間は「わけまえ」を情け容赦なく奪っていく

あなたがもし、中学生ならば。
なんとなく悲しくなるだけで満足かもしれません。
僕が本書をはじめて読んだときのように。

あなたがもし、30をとうに越え、誰かの親ならば、向き合わなければならない。
時間がうばっていく「わけまえ」と自分がこれから誰かに与えられる何かについて。

村上春樹さんの作品はただ悲しい喪失感を味わうために読むこともできます。
でもおとなになった僕たちは、喪失感を感じている時間はもうあまりない。

そこから何が生み出せるのか、それだけを追い求めたいものです。

以上です。


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