【ニュースと本】グローバルダイニングの訴訟から考える「市場社会」(父が娘に語る美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話)

2021年3月30日火曜日

おすすめ本 経済

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結論

時として、「お金ではない価値を求めている」という意思表示のためにお金の大小が使われることがある。

それは現在が 「市場社会」であることに他ならない。

 

グローバルダイニングの訴訟とは?

 グローバルダイニング、時短命令で東京都を提訴というニュースがありました。

東京都が新型コロナウイルス対応の改正特別措置法に基づく時短営業の命令を行ったことは違法として、各店舗1円の賠償請求額を請求して合計104円とのこと。

この訴訟自体がどうかなどは、専門家に任せますが、この訴訟に置いて私が注目したのは、各店舗1円の訴訟という金額。

これが1店舗10万円や100万円などの金額であれば、損害を被った分も含めて訴えているのかな?と思いますが、1店舗1円という金額から金銭的な損害を受けたことではなく、「お金以外の理由で訴えているんだな」、と推察しませんか?

逆に言うと、現在の社会においては、あらゆるもの(極端に言えば人の命さえも)が、あなたや私の頭の中で、ほぼ無意識に「お金に換算されてしまっている」と言えます。

 

市場社会とは?

何かを生産するのに必要な要素は次の3つだ。

  • 自然から採取する原材料
  • 「土地」または「空間」
  • 製品に命を吹き込む「労働者」

大昔の社会では、生産に必要なこれらの要素はいずれも商品ではなかった。

(中略)

イギリスはこうして、「市場のある社会」から「市場社会」への道を歩みはじめた。

農奴を締め出すことで、労働力と土地を「商品」にしたのだ。

これが労働市場のはじまりだ。土地も道具も持たない人間は、労働力を売って生きていくしかない。苦役を商品にすると言うわけだ。

いきさつはそんなところだ。数千、数万という農民が泥道に放り出され、自分たちが持っているただひとつの「もの」、つまり労働力を差し出した。


私たちにとっては、大人になったら「自分の労働力を使って働く(=お金を稼ぐ)」と言う行為そのものが、つい数百年前に出来上がったモデルであり、本書によれば、それはかなり強引に権力者たちにとって都合の良い形で作られたものであったようだ。

現在は、ほぼ全ての「モノ」はお金で取引されている。あらゆるものが、お金で解決できるとも思っている。そういう世の中になったのは実はそんなに古い話でもなく、絶対的な価値観でもない。

 

 参考図書

 

 

今週の気になるニュース

ニセの記憶を脳にカンタンに埋め込めることが判明

脳の研究は本当に刺激的な結果が出されることが多いですが、やはり自分の脳の記憶を信じすぎるのは危険であることが判明したようです。

これだけコンピューター技術が発達した現代においても人間の脳はその優位性を保っていますが、そろそろ一定の領域においては、人間の脳よりも優れているという結果が出てきても全く不思議はないように思います。

特に車の運転などは歳取った人間が運転していたんだよ、昔はね、というのが笑い話になる気しかしません。

狂気の沙汰ですよね、壊れたコンピュータに凶器のような物体を運転させるなんて。




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