オランダのアムステルダム
答えは、オランダのアムステルダムだそうです。
アムステルダムが世界の中心都市だったなんて想像できますか?
しかも、1620年から1788年までの約160年もの長い間、世界の中心としてさかえていたらしいです。
歴史の教科書で習っていたのかもしれないけど全く覚えていない。
アムステルダムの栄華
アムステルダムが繁栄したのは、他の中心都市と同様、食料に衣料が豊富に生産でき、当時のMAXいけてる移動手段である船の製造も行え、船が行き来できる港があったため。
農産物に加えて、染料産業と紡績の機械化を推進し、また船の製造販売、販売、整備の巨大な作業場となった。こうした作業場では風車を動力とするクレーンや鋸が使われた。1604年株式形式による資金調達方法により、陸上での産業取引を行うことが考案されたのもアムステルダムにおいてであった。これまでの「中心都市」と同様に、アムステルダムもサービスを産業製品に、強制労働を賃金労働に切り替えた。富はますます限られた人々の手元に集中し、市民や消費者には、より大きな自由が与えられた。一方、労働者にはさらに大きな疎外感がもたらされた。
株式会社という組織が作られはじめたのもこの時期とのこと。
「強制労働を賃金労働に切り替えた」
この一文がとても強烈ですね。
中心都市の終焉
世界は、二世紀近く続いたオランダの成功を恨めしそうに眺めていた。全ての時代に通じてもオランダの君臨はもっとも長い市場の形式であろう。18世紀は、最初に民主主義が根づきはじめたオランダにとって栄光の世紀であり、オランダのライバルたちにとっては敗北の時代であった。しかしながら、権力を握って1世紀半が経過した1775年ごろオランダの君臨に翳りが見えはじめた。その衰退の理由は、これまでの「中心都市」と同様であった。つまり、 オランダ海軍の戦力が低下したことで、海上の安全が確保できなくなり、自国商業ルートの安全確保にかかる費用が高騰したのである。さらに、自国産業が使用するエネルギー源である森を伐採して確保してきた木材が枯渇した。この木材は船の材料でもあった。また、染色技術や海上での兵力の技術進歩も止まった。賃金労働者からの要求が強まったことで、社会紛争は激化し、アムステルダムの毛織物はコスト高に陥った。
後から考えれば、あの時のあれをきっかけに経済が破綻しはじめたんだな!とわかるのですが、おそらくその当時そこにいたら気づかないんでしょうね。平和だヤッホー!とやっていたら海軍の戦力が低下してて、そのせいで、自分たちの経済が立ち行かなくなるなんて浮かれていたら絶対気づかないですよね。
今はアメリカのロスアンゼルスが中心都市ですが、えっ!そんな時代があったの!となる日もそう遠くないんでしょうね。
参考図書
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