代表的な音声メディア
「音声メディア」が市民権を得て久しいですが、使っていますでしょうか。
例えば、現在以下のような音声メディアがあります。
(その他いっぱいありますが代表的なところをピックアップ)
(その他いっぱいありますが代表的なところをピックアップ)
radiko
ラジオをインターネットでも聴けるように、というコンセプトのもと始まったサービス。
音声メディアとしては最古参でありながら先端を走って業界を切り開いたといっても過言ではないサービス。
しかしながらここ数年は、旧来型の「ラジオ」という形態から抜け出せず、後発組に次々に抜かれていってしまっている印象が強い。
音声メディアとしては最古参でありながら先端を走って業界を切り開いたといっても過言ではないサービス。
しかしながらここ数年は、旧来型の「ラジオ」という形態から抜け出せず、後発組に次々に抜かれていってしまっている印象が強い。
Voicy
新しい音声メディアの形を切り開いたといっても過言ではない音声メディア。
私も毎日のジョギングのお供に聞いています。
もともとはYouTubeのように、多少質は悪くても誰でも気軽に始められる音声メディアとして出発しましたが、他の音声メディアよりも「質」にこだわることで単なる素人がしゃべっているだけのメディアを抜け出した感がある。
私も毎日のジョギングのお供に聞いています。
もともとはYouTubeのように、多少質は悪くても誰でも気軽に始められる音声メディアとして出発しましたが、他の音声メディアよりも「質」にこだわることで単なる素人がしゃべっているだけのメディアを抜け出した感がある。
himalaya
中国の音声メディアで当初かなり質の悪い素人が話しているというイメージが強かったのですが、久しぶりに聞いたら、有料コンテンツなどを増やしていて、素人が話すというよりブックコンテンツなど収益化に向けてだいぶ大きくかじを切っているようです。
「文字」以上に「音」は好き嫌いが分かれる
音声メディアを聞いている方なら感覚としてわかると思いますが、その人が「何を言っているか」よりも、「どんな声で言っているか」のほうがその番組を聴くかどうか聴き続けるかどうかを決める要素としては大きいと思います。
もちろん、最終的には、「何を言っているか」も大事なのですが「声」がだめだとそこまで行き着かない。
ここでいう「声」はマイクの良し悪しも結構関わってくる。
なぜ人はこんなにも「声」や「音」に対して、「好き嫌い」という理屈ではない感覚を抱くのでしょうか。
「音」は生死を分ける情報
一節によれば、音というのは、人間の脳の大脳辺縁系というところで感じており、大脳辺縁系とは生命の存続に欠かせない重要な情報を扱う器官ということで、ここで扱う情報は理屈ではなく生きていく上でこれはやばい(好き嫌い)という感情を誘発するとのこと。
寝ているときでもヤバそうな音だけは聞けていることからも、人間は目からの情報よりも耳からの情報をより生命の維持という意味では重要視しているのかもしれません。
寝ているときでもヤバそうな音だけは聞けていることからも、人間は目からの情報よりも耳からの情報をより生命の維持という意味では重要視しているのかもしれません。
参考
「音楽は本能的な機能を司る脳である大脳辺縁系で感じており、たとえ意識に上らなくても 確実に感情の誘発に影響を及ぼす。大脳辺縁系は摂食や睡眠、性行動など生命の存続に欠 かせない重要な器官なため、無意識に動いている。」おそらくこれからもっと発展していく音声メディア
音声メディアはやっと産声をあげて新しいカタチを模索しつづけている状態です。
radikoでもないし、podcastでもないし、Voicyでもない。きっと完成形はまた違った形に姿を変えながらこれからもっと発展しくと思われます。
音で空間を広げたり、感覚を伸ばしたりいろんな可能性があります。
イヤホンやヘッドホンもそれにあわせてどんどん進化していくんでしょうね。
とても楽しみ。
今週の気になったニュース
メタバース。人間の感覚がどこまで拡張していけるのか。問題はテクノロジーよりも人間であるように思います。