【Netflix】1月なのに今年のNo1ラブコメディが決まってしまったかも。〜その年、わたしたちは〜

2022年1月16日日曜日

Netflix その年私たちは ドラマ

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画像:SBS
Netflixで視聴できる韓国のラブコメディドラマ『その年、わたしたちは』。
まだ2022年の1月がはじまったばかりだというのに、もうNo1が決まってしまったかも。


Netflixへはこちら(その年、わたしたちは)から

キャスト

キム・ダミさん
170cm 1995年生まれ
現在Netflixでも視聴可能な『梨泰院クラス』や『The Witch/魔女』に出演。
どちらも本当に素敵な作品ですし、彼女にしか出せない魅力満載ですが、本作はそれとはまた全然別な魅力が満載です。


The Witch/魔女』では、本作の相手役チェ・ウシクさんと壮絶なアクションをしています。今年は2が公開されるとの噂もあります。


内向的な性格で、村上春樹が好きとのこと。


チェ・ウシクさん
181cm 1990年生まれ
カンヌ映画祭で最高賞を受賞しNetflixでも見ることができる『パラサイト 半地下の家族』のほか、『新感染』、『The Witch/魔女』など多数に出演。


弱そうに見えることには自信があるとのこと。
ふたりとも高身長なのに、ふたりが並ぶと小動物のようで本当にかわいい。


ストーリー

ドキュメンタリーで始まり、10年後に再会する

学生時代に成績1位の女子とビリの男子を特集するテレビのドキュメンタリーに出演した2人が、恋に落ち別れ、10年後に再会する。

学年1位の女子ヨンスは、家が貧乏で資本主義のルールの中でトップを目指して努力しお金を稼いで人並みの生活をしたいと夢見ている。
お金が無いせいで友だちとプリンひとつ買う事すら出来ず制服も靴も変。本当はお金がないことを隠し人から見下されないために行っている言動が、変人のような誤解を受けてしまっている。

学年ビリの男子ウンは、裕福な家の子として育てられずっとのんびりして生きていきたいと願っている。昼間はいつも眠そうで授業中も居眠りばかりしている。唯一の趣味は、読書と絵を描くこと。散歩する時も主人に抱えられ一切外に出ない犬の生活を羨ましく思っている。
覇気のない生活をヨンスにいつも怒られている。

そんな正反対な2人だが、ドキュメンタリーの撮影をきっかけに喧嘩ばかりしていた関係が少しづつ変化しお互いに惹かれ合うようになり付き合うことになる。5年付き合い彼女のほうが彼を捨て別れる。
彼は嘆き悲しみ、家に引きこもり4ヶ月後に黙々と絵を描き始める。その絵が人気となり、人気の画家として大成する。

彼女はイベントを企画する会社の一員となりお店のオープニングイベントとして、人気の画家を呼べないか企画する。それが元彼だとは知らずに。


本作の魅力

主演の二人キム・ダミさんとチェ・ウシクさんがとにかくかわいい

とにかく主演のふたりがかわいく応援したくなってしまいます。
内向的で小動物のようなふたりの姿が、観ていて、どこかの世界に本当にそういうふたりがいて過ごしているかのような錯覚を起こしてしまう。

ニーチェの思想が散りばめられる

第7話「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」のエピローグでふたりが逃げ出し図書館で偶然出会ってしまうシーンでニーチェの「ツァラトゥストラ」が出てきます。

ニーチェは「神は死んだ」という有名な言葉を残していますが、当時のヨーロッパでは神というのは絶対的なものであり絶対的な神を否定することで、ものごとは見る方向によって様々な見方できるという相対主義を説いたといいます。本作でも相対的な世界として様々な対比が行われます

学年1位とビリ、お金持ちと貧しい家庭、資本主義のルールで勝ち上がることが成功という価値観とのんびり毎日を過ごすことこそ成功と考える価値観の対比。振った側の喪失と振られた側の喪失。
10年前の記憶と現在。撮る側と撮られる側の微妙な気持ち。
完璧であることを求められる芸能人の世界と、欠けていることを認められている彼の世界。
昼と夜。人と建物。
いろいろな対比する世界を描くことで、昼だけが美しいわけではなく、夜には夜の昼には昼の美しさがあることを描いています。

欠けている事の肯定〜完全なる円と魅力的な人々〜

シェル・シルヴァスタイン著の「ぼくを探しに」という本の中で、主人公は自分の欠けたカケラを探して旅をします。自分の欠けたピースにぴったりのカケラがどこかにあるはずと。
本作の主人公も明らかに欠けてイビツなふたり。

だからこそ、お互いのイビツさを認め合い補い合うことができるし、お互いが欠けているからこそ、他の相手では欠けたピースに合わないこともわかっている。
最初から最後まで一貫して本作の主人公2人はお互いのことしか見ていない。それ以外の選択肢がないから。
世の中には、本当に不思議なくらい2人で完璧な円となる人がいる。このような2人の前では、こちらがどうであるとか言い方がどうであるとかタイミングがどうであるとか関係なく、とにかく完璧な円の中には入れない。

学生時代から、学年1位女子ヨンスのことを好きだった彼の男友達ジウン。
男友達ジウンのことが好きな後輩の女の子チェラン。
作品を通して彼を好きになったアイドルのNJ。
ウン(学年ビリ男子)のマネージャー、ウノ。
居酒屋の店主で学年1位女子ヨンスの唯一の友達、ソリ。
ウンの父と母。
ヨンスの祖母。
完璧な円の前で報われない恋心がありながらもふたりのイビツさを認め愛し暖かく見守っている友人、本当の親ではないけど愛してくれる両親。優しい人びとに支えられることで、ふたりのイビツさはむしろふたりの魅力になり、ふたりがお互いを見つけるためのキーにすらなっている。


別れる理由すら愛おしい〜持っていないものは捨てられない〜

ヨンスがウンを振る時に言う。

私に捨てられるのはあなただけよ

ヨンスは、貧乏な家に生まれ祖母と二人暮らし。
もともと貧乏なのに、祖母が親戚の叔父の保証人になってしまいまた大きな借金を背負う。
ヨンスは言う。
「お願いだから私が耐えられるくらいの貧乏でいて」

そんな時、ウンは絵の才能が認められ始め海外に研修に行かないか誘われていた。

ヨンスの言葉の後には、こんな言葉が続いたのかもしれない。
「私に捨てられるのはあなただけ。それ以外何も持っていない。
自分の抱えている現実的な問題を彼に気づかれたくない。彼に迷惑をかけたくない。自分のせいで彼の将来を潰したくない。

ここでもニーチェの思想が使われているように思う。
「誰かを愛するようになると自分の欠点や嫌な部分を相手に気付かれないようにと計らう。それは虚栄心からではなく愛する人を傷つけまいとしているのだ。」

村上春樹の「風の歌を聴け」の中で
「まるでエンジンの故障した飛行機が重量を減らすために荷物を放り出し座席を放り出しそして最後にはあわれなスチュワードを放り出すように」
という一説があるが、彼女にとってはまさにもうこれ以上何もなかったのかもしれない。そう思うととても愛おしく悲しい。


映像が素晴らしい〜提供できる価値は「ある瞬間を記録すること」だけ〜

本作の中で、映像プロデューサーである友人のジウンが、ヨンスに10年ぶりにドキュメンタリーを撮ろうと誘うときに
人はなんでドキュメンタリーに出るんだと思う?
と聞きます。
「我々の提供できるものは一つだけ。人生の一コマを記録すること。」
「それがどおした?という顔をする人がほとんどだ。」
「でも、撮影が終わり画面を通して見て初めてその意味がわかる。」
人生のある一瞬の記録がどれほど尊いものか。君ならばわかるはず。

映像や写真を趣味にしている人ならばこの言葉の意味がわかるのではないかと思います。
結局のところ、それは大層な芸術でもなく、ある瞬間そこにあったものを記録すること。
それに意味があるかないかは、時間が経ったあとにそれを見た人が判断する。
でもそれは時に、どんなにお金を出して買えないくらい大切な瞬間にもなる。

本作の映像も、写真的な映像美がそこかしこに登場します。
韓国の映像では多用されるようですが、BlackMistと呼ばれるフィルターを通し逆光の光をぼんやりとさせたり前ぼけと呼ばれるボケの映像を使ったりタイムプラスを使ったり、とにかく映像が綺麗。
圧巻は、ふたりが強制的につれて行かれた旅行先で、雨の中丘の上でキスをするシーンの映像。
雨粒の描写と光と2人の映像が本当に綺麗で、写真で撮ろうと思ってもピントも絞りもシャッタースピードも本当に難しそう。


最後に

本作の魅力を書き出したらキリがないほどずっと見ていられる作品です。
美しい映像と優しい人々、自分にとって本当に大切なもの気づいていて、喧嘩していても何をしていてもずっとその大切なものを求め続けているふたりの姿が本当にほっこりさせてくれる。
気づくとふたりを心から応援している自分がいる。
まさに今、そのど真ん中にいる年代の人だけでなく、まるで自分たちの子供を応援するような気持ちでも楽しく見ることができる作品ではないかと思います。




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