主な登場人物
チョ・イソ(キム・ダミ):パク・セロイに恋をしタンバムのマネージャーとなる。
チャン・デヒ(ユ・ジェミョン):チャンガの会長。お金と権力でセロイを抑えつける。
チャン・グンウォン(アン・ボヒョン):会長デヒの息子。セロイと因縁を持つ。
チャン・グンウォン(アン・ボヒョン):会長デヒの息子。セロイと因縁を持つ。
オ・スア(クォン・ナラ):セロイの初恋の人。
あらすじ
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タンバムが上手くいきはじめたお祝いにと5人で飲み会を開いたセロイだが、スアもついてきて6人で飲む事になった。
飲み会の店は、イソの行きつけの店で評価が高い店として星4だと言う。
タンバムは星3。梨泰院で星5なのはチャンガ。
イソは、方向性も違うし気にする必要はないと言う。
しかし、セロイは言う。
「違わない。俺の目標はタンバムのフランチャイズ化だ。難しい事はわかっている。ひとりでは無理だが仲間がいる。大丈夫さ。やれる。」
そして、5人は乾杯する。
そんな時イソは大学に行かずタンバムで働いている事が母親にバレてしまい、家を出る。
母親を泣かす事になってしまい悩むイソ。
「反対しないの?人生は自分で決めろって言う?」
と言うイソにセロイは言う。
「いや、お前が必要だから。良い会社に就職する事がお母さんの望みならいつかタンバムは最高の就職先になると思う。身勝手な考えかな。うまい慰めの言葉が思い浮かばなくて。」
イソは言う。
「どんな言葉より慰めになりました。そんな大きな事を言うなんて意外です。」
セロイは答える。
「だってお前がいるだろ?」
「飲み会の時にいいましたよね?チャンガを超えるフランチャイズにするって。それは韓国1になるって事ですよ?」
「そのつもりだ。」
「夢の大きさがその人の器を作る。発言に責任を持ちます?成し遂げましょう。」
そして、セロイとイソは、バイトを増やして、テレビ局の番組にも出演するよう働きかける。
しかし、またチャンガの妨害にあい、テレビ出演出来なくなってしまう。
テレビ出演の件を謝ろうとするスアだが、セロイは気にするなとだけ行って通り過ぎてしまう。イソは、スアが店を告発したのではない事をセロイに黙っていたが、ついに話す。
セロイはスアを追いかけて、チャンガから自由にしてやると言い放つ。
セロイは、スアを見送った後電話をかけ19億ウォンの投資をチャンガにする。
大口の株式が買われた事を知った会長のデヒは、セロイの店を訪れる。
補足と勝手な考察
母親が引いたレールの上から外れ自分の意思で生きるチョ・イソ
第6話は、街の小さな飲食店であるタンバムがいずれは韓国No1の飲食の会社になるとセロイが宣言する回です。
そして、それが単なる思いつきや根性論ではなく、セロイが持っていた資本を数年もかけてチャンガなどへ投資し数億というお金を得ていたことからも、実現させるための下準備もしながら本当に実現させる目標であることがわかる回です。
セロイの目標に対して、ちょっと呆れながらも誰も冗談だとも無理だとも思っていない。
メンバーがみんな本当に成し遂げるだろうと思っている。
イソもまた、「大きな夢でも私が叶えてあげる」という思いを胸に母親の望みとも決別しセロイに人生をかける。
「その年、私たちは」のヨンスに通じるオ・スア
第6話の冒頭に、オ・スアの幼少時代が描写されます。
両親もおらず、養護施設で貧乏な暮らし。
同級生に「同情」され、笑いながらその「施し」を捨てる。
「その年、私たちは」のヨンス(キム・ダミ)も貧乏で他者に「同情」されることを何よりも嫌っていた。もしかしたら、「同情」に対してなぜそんなにも嫌うのかわからない人も多いのではないだろうか。
幸いにして「同情」されることなく生きてきた人にとっては、「同情」がいかに人の尊厳を傷つけ、貶める行為なのか理解できないかもしれない。
ニーチェの「ツァラトゥストラ」から
ニーチェは「第二部 同情者たち」の中で、同情について以下のように言っています。
ああ、同情者たち以上に、愚行を行なった者が、この世にいるだろうか。そして同情者たちの愚行以上に苦しみをひき起こしたものが、この世に存在するだろうか。おのれの同情を超えた高い場所にまだ至りついていない愛の所有者は、わざわいである。悪魔がかつてわたしにこう語ったことがある。
「神にも地獄がある。それは人間にたいするかれの愛である」と。そして最近、わたしは悪魔がこう言うのを聞いた。
「神は死んだ。人間への同情のゆえに死んだのだ」と。それゆえ、同情の思いに駆られることを警戒せよ。なの思いから、いやがうえにも人間には重い雲が寄せてくるだろう。
「同情」するという行為がそもそも相手を下に見て行っている行為である以上、それは相手を「弱者として恥ずかしめている」行為である。まず、この認識がないと、なぜオ・スアがこんなにも同情されて怒っていたのか、ヨンスが同情されることを嫌がっていたのか理解できないかも。
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